2016年8月20日土曜日

ちょこっと小田原「ぶらなっち」♪

城ガール隊関東甲信越支部の公式?スピンオフ納涼会、今年は「真田丸」の舞台にもなった小田原で開催。せっかくなので参加隊員みんなで小田原城をぶらっとしてから、飲み会(懇親会)です。

で、集合はお昼過ぎ。真夏だし、熱中症にならないように・・・
なんですが、ワタシ的には午前中もったいないな~☆

というわけで、お先に抜け駆け小田原城あるき「ぶらなっち」♪




本日の「ぶらなっち」ガイドさんです。小田原なのに、なぜか伊達(笑)
小田原在住で、いつも小田原のいいところ情報を教えてくれる奥月さん。

この日も、小田原に向う電車の中で「(朝が早かったので)すでにお腹が鳴ってる~☆」とTwitterにつぶやいたら、オススメのカレーパンをみんなの分まで買って待っててくれました。優しい・・・♪




一緒に「ぶらなっち」する城ガール隊のばったびさんも、お土産に「自衛隊オリジナル饅頭」(なぜか?笑)を持ってきてくれたので、関東支部長のさとみんさんも入れて総勢4人、小田原駅ビル地下で小田原城(の模型)を遠めに見ながら、まずは腹ごしらえ。。。mgmg

揚げたてほやほやでまだアツアツのカレーパン、中に野菜がたっぷりで美味しかった!
奥月さんごちそうさまでした・・・今度お店教えてくださいね☆

さて・・・この午前中は、「ぶらなっち」の本家本元・NHKの「ブラタモリ」小田原編でタモリさんも歩いた、「住宅街の中に残る総構えの跡」をたどってみました☆

小田原城の総構え全長9kmのうち、城の北西~南西の丘陵地では土塁や堀切、空堀などの遺構が良好に残っていて、総構えのダイナミックさを感じることができます。

(山側の遺構については、こちらをごらんくださいね~!)

が、南東側は相模湾、北東側は渋取川周辺の湿地帯が天然の要害となっていたものの、市街地化が進んでしまって、遺構らしい遺構はなくなっちゃったものだと思ってました。

・・・ところが!この北東側。

渋取川が往時は総構えの堀として利用されていたんですが、現在でも外郭線と一致した形で暗渠として残っていて、その上をたどることができるんです!

それが、上の地図の赤線ルート。
赤線に沿った水色の部分が、今はなき渋取川を利用した総構えの堀。そして、緑色が土塁のあったと思われる場所です。

それでは、まずは暗渠あるきのスタート地点を目指して、小田原駅を出て大雄山線の緑町駅方面へ。



緑町駅はゆる鉄なココロをくすぐる無人のちっちゃな駅です(*^o^*)

この駅のすぐ北東側が、総構えの甲州街道の出入り口だった「井細田口」。遺構らしいものは眼に見えませんが、虎口の食い違いの構造が現在の国道255号線にそのまま残っています。

井細田駅の近くに、古そう~な橋と細い川(?)
地図と照らし合わせると・・・これが渋取川?!




なぁんだ渋取川、顔を出してるじゃん(^^)、と喜び勇んでたどってみると・・・




あっという間に住宅地の中で姿を消してしまいました。
あとは、この四角い暗渠のふたをたどっていくことになります。




川は暗渠になってしまったのですが、その上にかかっていた橋の欄干だけがちゃんと残って、そこに流れていた川の名残を伝えています。




南北に流れていた川が東西方向に90度向きを変える場所。
暗渠のラインに草が生えて、どのように流れているのかしっかり判ります☆




暗渠の中を覗き込む「ぶらなっち」メンバー。
中に水が流れてるのがしっかり見える!




白っぽく道のように続いているのが川の暗渠。

右側の駐車場ですが、よくよく見ると駐車している車の前方が少しだけ高いのが(というか、車が斜めになっているのが)わかりますでしょうか?

この駐車場、地面が少~しかまぼこ型に高低差がついていて・・・もしかしたら土塁の跡かな、なんて妄想むくむく(^^;)




この写真の右側の奥に向って続くブロック塀の足元に、暗渠道の端っこに沿ってずっと石の段?が続いています。

これは渋取川を堀としていたときの石垣の名残?!
もしかしたら暗渠の壁に石垣が見えるかも・・・と排水溝から覗き込んでみたところ、暗渠の壁はがっちりコンクリートで固められていることが判明。

実はこの道幅いっぱいに暗渠があるわけではなくて、石垣?の縁から30cmくらい内側に暗渠の壁があって、雨水を流すために道の端に設けられている丸い穴は、そこから暗渠に向かって斜めに掘られていました。

結局、石垣の遺構が埋もれているといいのになと思いつつ、実際のところがわからないままなので、情報がありましたら教えていただけますとうれしいです!

さて、そのまま進んでいきますと・・・




暗渠が並行して、茶色の建物を挟んだ両側に現れました!




ここはブラタモリでも放映された場所で、現在の暗渠の位置が堀の両岸だったのだそうです。
堀幅の広さがよくわかります・・・というか、この茶色の家は堀の上に建っているんですね(^^;)

暗渠は東西方向からまた南北方向に向きを変え・・・




新玉小学校近くでも同様の場所を見ることができます。




暗渠は続く~よ どこまでも~♪(笑)

しばらく歩いていると、突然目の前にこんもりとした土塁が・・・!




さっそく写真を撮りまくっているさとみんさん。
ここが、小田原城の低地部に残る数少ない貴重な遺構のひとつ、蓮上院土塁です。




蓮上院というお寺の敷地部分に、完全に近い状態で残っていて、国の指定史跡になっています。
さとみんさんや奥月さんとくらべると、土塁の大きさがよくわかりますね~☆

この土塁のあたりは、堀も幅が非常に広くなっていたようです。
痕跡がなにか残ってないかな~と、土塁の向かいの家の裏手に回ってみると・・・




家々が建ち並んでしまっていてよくわからなかったんですが、もともとの地面は少し下がっていて、道などは盛り土がされているようにもみえるかな?

また土塁に戻ってしばらく進むと、土塁がぼこっ!と欠けている部分に遭遇。




草ぼうぼうでわかりづらいんですが・・・
太平洋戦争時の昭和20年(1945年)、小田原空襲でアメリカ軍が投下した爆弾のひとつが着弾した跡だそうです。

豊臣に負けなかった後北条の土塁も、アメリカには負けた(^o^;)




土塁を崩して駐車場になっているところでは、図らずも土塁の断面をみることができます。
ただし、土留めの石垣は後世のもの☆




こうしてみると、100m以上残ってるでしょうか。
そして足元には引き続き暗渠のふた。本当は堀とともに往時の姿が残ってほしかったですね。

さて、暗渠あるきも終盤を迎え、渋取川が顔を出しました!




この先、渋取川は国道1号線(旧東海道)とぶつかりますが、そこが江戸口見附。

かつてはそのあたりには蓮池が広がっていて天然の要害となっていたようですが、江戸時代になって東海道を整備した際に、蓮池を土橋で分断して東海道の江戸からの外郭出入口としたそうです。




当時は土塁で囲まれた食い違い虎口だったそうですが、現在は史跡の標柱と小さな公園のみです。

国道1号線を挟んだ向かい側には、東海道の20番目の一里塚があったという記念碑もあります。




江戸口見附が整備される以前の後北条氏時代には、この場所より若干南側の北条稲荷のあたりに、山王口という虎口があり、小田原城の東海道への出入り口だったとのこと。




さっそく、北条稲荷にお参り♪




もとは城内にあったものが400年前に現在地に移された後北条氏ゆかりの神社だけあって、境内には三鱗紋がいっぱい~!




ここにも、あっちにも・・・♪




そして、北条稲荷の前には、ちょっと気になる高低差・・・もしかして土塁跡?☆
左側の緩やかな上り坂を登りきったあたりが山王口門跡だったようです。




北条稲荷といえば、蛙石が有名だそうです。

その名の通り、カエルによく似た高さ40cmくらいの石です。
小田原に一大事があるときには鳴いて知らせるそうで、天正18年(1590年)の小田原開城の際にも盛んに鳴いたという伝説があるそうな。




小田原が大地震に襲われそうになったら、事前に鳴いて知らせてね、カエルさん♪

・・・と、ここまで来たところで、時間切れ。
駅前までとんぼ返りして腹ごしらえをして、午後の納涼会にそなえなくちゃ!




というわけで、お昼ご飯は念願の「北条水軍」でランチ!




氏政どのの席でしたが、他にも甲冑武者?とご一緒の席とかいろいろあり。
後北条氏にこだわったコンセプトのお店ですが、実はお魚も美味しい!




ということで、先にたっぷり小田原充しちゃったわけですが、城ガール隊関東甲信越支部納涼会の本番は実はこれからデシタ。。。

さ~て、午後もはりきって小田原充いきまっしょい☆
ずっとガイドしてくださった奥月さん、ありがとうございました!


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