2014年7月6日日曜日

古のハイウェイ? 霞丘陵七国峠

前日まで梅雨らしいしとしと雨降りが続いていたのが、この日は朝から貴重な梅雨の中休み。
twitterをのぞくと、フォロワーさんたちがあちこち歴史散歩に繰り出しているのがTLに流れています。

当の自分は、というとこの土日は入っていた仕事が流れたこともあって、ぽかーんと予定が空いている・・・

やらなきゃいけない家事はそれなりにあるけれど、大急ぎで片付けて前々から狙っていた近所の古道くらいはお散歩できるね!

・・・というわけで、午前中にしゃかりきになって炊事選択お掃除に水回りのカビ取りもがんばって、午後も多少回ってから到着したのが、笹仁田峠。





慶長11年(1606年)、江戸城大改修のために徳川家康から青梅の成木村で採れる石灰を供給するよう命じられた八王子代官の大久保長安が作った、成木から江戸城までの道が成木街道です。


笹仁田峠というのは、この成木街道の峠のひとつです。この頃の成木街道は成木から小曾木を通り、この笹仁田峠を越えて箱根ヶ崎に出て、現在の東大和あたりの青梅橋で青梅街道に入っていました。


幕末の飯能戦争の際には、振武軍そして官軍もここを通ったようです。


成木街道はこの笹仁田峠で東西に走る霞丘陵を越えるわけですが、この霞丘陵の尾根上にはこれまた「旧上州道」といわれている古道が走っています。


次の地図上の赤線がその尾根道で、笹仁田峠で赤線の道とクロスして南北に走っている道が成木街道です。



この赤線の尾根道は現在「霞丘陵ハイキングコース」として整備されていて、笹仁田峠から入っていくことが出来ます。

そして地図を見れば判るとおり、この尾根道を笹仁田峠から西に進むと青梅三田氏の帰依を受けて栄えた塩船観音寺、そして三田氏の居城だった勝沼城址があります。

また東に向うと、この尾根道とリンクする道沿いに遺構が明瞭だけど由来が謎の今井城があり、そして舌状台地の先の入間川「阿須の渡し」で、以前別の記事でも書いた「滝山古街道」と合流します。

今回は時間もないことなので、家に戻ることも考えて笹仁田峠から東側に「上州道」をたどって、阿須に下りることにしました。





これが笹仁田峠からの古道入り口です。

現在は都道となって車のばんばん通る笹仁田峠からハイキングコースに入ったとたん、こんなご機嫌な掘割状の道が継続的に続いています!

このあたりの山は某宗教団体の持ち山であるらしく、非常に手入れが行き届いていて綺麗ですし、道も歩きやすく整備されています。

所々元の地形が堀割られることによって道の傾斜が一定になっていて、アップダウンもほとんどなく歩きやすいことといったら!



斜面を登りきって尾根の頂上に出ると、道はそのまま尾根の一番高いところをまっすぐ進んでいきます♪

左右は結構深い谷。アップダウンがないのでさほど高いところに登ったとも思えないのに、尾根道からは秩父方面の山々がよく見えて、とてもご機嫌です♪

しばらくそのまま進むとちょっと開けた場所に出ます。そこが「七国峠」です。

「七国峠」と名のつく峠はこの近辺では八王子と町田の間、川崎と稲城の間、平塚、そしてこの青梅と飯能の間の4ヶ所あります。

青梅と飯能の間にあるこの「七国峠」は標高220m。青梅市教育委員会の「青梅文化財地図・青梅を歩く」によれば、青梅・勝沼(三田氏の勝沼城址があるところ!)と上州・白井(現在の渋川市、白井城址のあるところ)を結ぶ「上州道」の峠だとのこと。




ここから南に下ると今井城にアクセスします。
つまり、言ってみればここは今井城からこの「上州道」ハイウェイに乗るためのいわばインターチェンジといったところ?

峠には「弥兵衛松」という石碑と小さな松があります。

この「弥兵衛松」というのは二代目だそうなのですが、昔この峠を往来する人を見守った弥兵衛という人の仮小屋があったところなのだという昔話が伝わっています。

弥兵衛は追いはぎにあった女の人を救ったり、年をとると鉦をたたいて峠の安全を見守ったのだそうで、亡くなった後、小屋のあった跡に一本松が生えて身代わりのように峠を見守ったのだと言うことです。




しかし、こんなところの道が「上州道」?
しかも上州は北の方向なのに、この尾根道「ハイウェイ」は東西に走ってるんだけどな・・・?

そんなギモンを抱きつつも、掘割状道はまだまだ続きます。




「山道」って・・・いったいどこにつながってるの?(笑)
駅への近道って書いてあっても、どこに道があるのかわからない~(笑)





そして、青梅から県境を越えて飯能に入ったあたりから、どうやら某宗教団体の敷地からも離れたらしく、なんとなく山の様子があまり手入れをされていないような感じに・・・

古道も先ほどまでの歩きやすく整備されて快適だったところから、掘割状の道も埋もれてしまって狭く判りにくく歩きにくくなってきて・・・




いきなり古道の交差点!
丘陵の両側にある集落を結ぶ道とのクロスです。この尾根道古道からはこのように両側に降りていく道とところどころでクロスしています。

そして、尾根道の走っている丘陵も、県境を越えたあたりから霞丘陵から阿須丘陵へと名前も変わっているのですが、七国峠あたりをピークに東に向って尾根道はだんだん標高を下げて、このあたりまで来るといよいよ幅も狭まっているようです。



さらに進むと、尾根も道もいよいよ細くなり、ついに木々も途切れて・・・

じゃーん!


見よ、あれが飯能の町だ~!




ここまで来ると、まだ高低差はあるもののもう尾根は舌状台地となって川へと降りていきます。

視線の先には八高線の走っている土手と、その向こうの入間川にかかる橋が見えます。
この橋の場所が鎌倉街道の脇街道にあたる「滝山古街道」の阿須の渡しにあたります。

この「滝山古街道」は北上すると飯能の中山から高麗川を抜けて鎌倉街道上つ道に合流して上州方面に向かいますので、おそらくそこまでひっくるめて「上州道」と言っていたのではないでしょうか。

あくまで、私の想像ですが☆

というわけで、まっすぐ尾根道を降りてきて、JR八高線の「土塁」。
阿須丘陵から入間川対岸の飯能丘陵(高麗丘陵)に向って土塁を築いて、高低差をつけずに入間川の広い河岸段丘を渡っています。

・・・相当な土木量ですよね(^^;)





そして阿須の渡し、つまり現在の近くの阿岩橋のそばのセブンイレブンのアイスコーヒーでゴール!

お散歩といいながらも、なんだかんだですっかり夕方になってしまいましたが、整備されたハイキングコースでの山の中の遺構散策は快適でした!

お疲れ様でした~!次はどこに行こうかな・・・?(笑)