2014年6月18日水曜日

義経の腰掛松 経由 石母田城 阿津賀志山防塁番外編 

福島県と宮城県の県境に近い国見町にある、阿津賀志山防塁に行ってきました。

その様子は当ブログの別記事(「ココロの目で見よ!」阿津賀志山防塁、日帰り旅)に詳しく書いてありますので、そちらをご覧いただくとして・・・


食堂やコンビニくらいどこにでもあるだろうと高をくくって、お昼ごはんを持たずに散々防塁遺構を歩き回ったのですが、ぺこぺこにお腹が空いたときにふと気がつくと、どこにもお昼を調達できるところがない!

それで、町役場からいただいたパンフレットに写真つきで載っている史跡なら、付近に何かしらあるんじゃないか~?とさ迷い歩いていたところ、行き着いたのが「義経の腰掛松」。

そのパンフレットによれば、「義経の腰掛松」というのは阿津賀志山防塁遺構のある石母田地区の鎮守国見神社の西側にある赤松の名木で、源義経が奥州平泉に行くときに腰掛けて休んだと伝説があるそうです。

で、パンフレットの写真では、こ~んな立派な松がある・・・はず。


ところがところが・・・

「義経の腰掛松」の看板のそばには松の若木とちょっと傾いたような小屋?があるばかり。
小屋の中をのぞくと、どうやら古木の切り株様のものがあるようです。




小屋のそばに立っていた看板によると、確かにここには江戸時代に植樹された樹齢200年の松の古木があったようなんです。

ところが、松くい虫にやられてしまい平成25年にはすっかり枯れてしまったということです・・・Orz
で、そばに立っていた若木が、元の木から接穂して育成しているという「腰掛松」の幼木なのでしょう。





そして、腰掛松のあたりは斜面に果樹園の広がるのどかな風景があるばかり。
「お店」らしきものの影も形もありません・・・

で、今度はそこから600mほど離れた石母田城跡へ。
この城跡は町史跡らしいし、パンフレットの写真ではちょっと公園ぽい上、地図では集落の中にあるらしい。。。





集落には入ったものの、通り過ぎる車はあっても歩く人はなく「なんで今ごろこんなところを歩いてるんだ?」的なアウェー感をなんとなくひしひしと感じながら、たどり着いた石母田城跡。



やっぱりお店らしきものの影も形もなし。

そのかわり、とても素敵な「石母田城復元図」の看板!

見ると自分たちのいる場所は、どうやら「的場虎口」であるらしく、舗装路になってしまってはいますが土橋が残っています。

そして土橋の左手、的場のあたりは民家になってしまってますが、うっすらと堀の形跡が残っていて、土塁も「出角」の折れが確認できます。

そして、土橋の右手方向には「外堀」と思しき水路が。。。

これはいい感じじゃん~♪と再度「復元図」を見直してみると、本郭の入口は2ヶ所。1ヶ所は橋を渡って翳土塁の虎口、もう1ヶ所は馬出郭からの土橋!

そして本郭周囲の土塁には屏風折れも見られるようだし・・・☆

これはもうお腹の空いたのなんかどこかへすっ飛んでしまって、まずは翳土塁の虎口への橋を探しに、「的場虎口」からまっずぐ南下。

・・・ところが行けども行けども民家。その向こう側に本郭らしきこんもりとした茂みが見えるんですが、その前に大きな農家?が並んでいて、そちらへ行く道が見当たらない。。。

気がつくと、いつのまにか「三の郭」のあたりまでスルーしてしまってる?
え?橋に行く道なんてなかったよ?

念のためもう一度もと来た道を戻ってみたけど、どうやら位置的には民家のお庭に入っていった先になるらしい。

で、家の脇の畑のふちから行けないかと入っていったところ、藪に埋もれた丸堀には行き着きました。が、橋は確認できず。

仕方なく、今度は最初の土橋から右方向に、土塁の屏風折れを確認しに外堀?の水路に沿って進みました。

・・・確かに丸堀から先、金網の柵と猛烈な藪の向こうにかなり高さと厚みのある土塁が見えます。
しかし、まったく手も足も「ココロの目」さえも出ません・・・!

そのうちに西虎口のあたりまで来てしまって、また民家が並んでいます。
あまりに不毛なのでお腹が空いてるのも思い出してしまい、ここでココロが折れました☆

まぁ、空腹のほうはこの後車まで戻って、そこから5kmほど離れたコンビニまで行って食料調達したので解決できたのですが。。。

石母田城。パンフレットにも紹介しているし「復元図」もしっかりしてるのに、遺構を確認できるようには整備されてないのがものすごく残念でした・・・Orz

国見町役場さん、観光資源が整備されて観光客が増えれば復興にも役立つと思うので、ぜひがんばってくださいませ!