2013年1月29日火曜日

名古屋城外郭弾丸道行(なごやじょうがいかくだんがんのみちゆき)

われながら、よくやるよなぁ・・・とは思ったんですが (*^_^*)

もう「昨年」のこととなってしまいましたが、日頃twitterでやりとりをしている城好きさんたちの「忘年会」、一昨年は都内で開催したようなのですが、昨年末は名古屋での開催という連絡がツイプラに載りました。


名古屋かぁ・・・実はちゃんと行ったことないし、行きたいなぁ・・・


でも、旅費も時間もそれなりにかかる遠さですし、行くなら忘年会だけなんてもったいないので、できればせめてバスを使って旅費を安く上げて、一泊二日で名古屋近辺のお城めぐりも入れたいところですが、年末の、それもクリスマス連休に家を空けるのはなかなかに勇気がいりますよね。

ただでさえ日ごろから,、家事はばぁちゃんに押し付けて仕事に行っちゃってるし。。。
ご案内の載ったツイプラを眺めて悩むこと数日・・・

忘年会の前に半日で名古屋城の外郭を回らないか、というお誘いがツイプラに載ったのを見て、にわかに決心が固まりました。

えーい、名古屋城&忘年会、行きかえりとも「のぞみ」利用で日帰りしちゃえ!




というわけで、人生初名古屋城。
それも、天主もしゃちほこも見たことないのに、いきなり本丸には行かずに外郭めぐり~(^^;)

 
名古屋まで我が家から約4時間かかるので、朝7時に出ても着くのは11時くらいです。

午前中から名古屋近辺のお城をめぐっていた城ガール隊の流星隊長、kaiさん、美姫さんに熱田神宮で拾ってもらい、写真の信長塀を見て(にゃんぶどのも記念撮影~!)、お参りと昼食の後、いよいよ集合場所へ。





さて、大都会名古屋のど真ん中にある名古屋城の縄張りはこのようになっています。

普通、「お城」といえば誰しも「金のしゃちほこ」で有名な天守のある本丸と二の丸や西の丸等を指すのでしょう。

でも・・・!現在は官庁街となっている広大な三の丸の外側(写真の縄張り図の茶色部分)に土塁や空堀といった遺構がしっかりと残っているので、今回はこれをたどってぐるりと一周しようというわけです。



集合場所の名城線久屋大通駅の改札には、この名古屋城外郭めぐりに参戦する城好きさん十数人が集結。

地上に出て、久屋大通りをみんなでぞろぞろと歩いていくと・・・

正面にいきなり空堀&巨大な土塁!
今回は大都市のど真ん中に所在するめちゃメジャーな平城だし、忘年会が控えているということもありで、まさか土塁登ったりを想定してないスタイルのはずなんですが、さっそく土塁大好きメンバーが、いきなり登る登る・・・! (^^;)



ほ、堀でけぇ・・・


土塁の大きさにもびっくりだけど、堀の大きさにも圧倒されます。。。





よくよくたどっていくと、堀の折れもしっかり残っています。しかも、堀底が広い!もとはきっと水堀だったんでしょうね・・・
参加メンバーもどこかの駐車場にまで入り込んで、堀にかぶりつきです(笑)



外郭の東側を空堀に沿って北上すると東門の跡にたどり着きます。

ここは縄張り図を見るとどうも枡形になっていたようなのですが、行ってみると土塁は残っているものの、枡形の面影はどこにも見当たらず・・・



あーでもない、こーでもないと地図と首っ引きでどれがどの土塁にあたるのか推理するのも、また楽し。

昔はこういう風に土塁が通っていて、どういう風に残っているのか、なんとなく納得したところでそのまま東門の中に入って三の丸を内堀に向かいます。

しばらく歩くと名古屋市庁舎のある大きな交差点。なんかお社みたいなヘンな建物があるなぁ、と思ったら、地下鉄名城線市役所駅の入り口でした。。。

市役所庁舎や名古屋城に雰囲気をあわせてるのかしら?



ここまで来ると、堀も石垣も、う、うつくしい・・・(☆▽☆)
この石垣の向こうは庭園としてしっかり整備された二の丸ですからね~
って、私は行った事がないんですけど(^^;)

そのまま二の丸には入らずに、しっかり整備された枡形虎口(左側の写真)を横目に見ながら堀に沿って北上し、名城公園側の水堀へ。




真ん中の写真は何を写しているのかよくわからないんですが(笑)、対岸の石垣の上の低い塀に小さな穴がところどころ開いているがわかりますでしょうか?

これは「南蛮たたき塀」といって、鉄砲狭間なのだそうです。
私はそれを聞いてつい「幕末の頃のものですか?」と聞いてしまったのですが、実は名古屋城築城の頃に作られたものだそうで、名古屋城でもここにしかないのだとか。

この「南蛮たたき塀」のすぐそばに切れ込んでいる堀(右側の写真・・・逆光でわかりにくくてスミマセン)の先が緊急時の城主脱出口といわれている「埋門」に続いているようなので、城主が船で脱出するときに援護射撃をするつもりで鉄砲狭間を作ったのかもしれませんね。


そして・・・本日のメイン、西日に映える清洲櫓!
(左の写真)


3層3階、入母屋(いりもや)造り。御深井丸(おふけまる)の西北隅に建ち、「戌亥(いぬい)櫓」ともいわれています。
この櫓だけで、十分他のお城の天守なみの風格ですよね☆
水に移る姿も、なんとも優美。

そのまま水堀に沿って南に折れて、堀ごしに名古屋城の大天守を眺めながら進むと、途中右側の写真のような遺構に出会います。

「辰之口水道大樋」というそうで、堀の水位を一定に保つための仕掛けだったようですが、今は埋められてしまってます。


そのまま進むと、まもなく西側の虎口と思われる石垣に出会います。
このあたりの石垣には、結構さまざまな刻紋が目につきます。




これらの刻紋は工事を担当した大名や家臣の印だということですが、どれがなにやら・・・
これはね、なんてわかったらカッコいいんでしょうけどね~(^◇^;)

この虎口から東に折れて城内に入ると、すぐに西の丸に入る橋です。
でも、今回はそちらには入らずに、その南側の能楽堂の前庭にいらっしゃる加藤清正公にご挨拶。




この清正公の像は、銘文によればカゴメが創立80周年の記念に建てたもののようです。
なぜ、カゴメが・・・?

この像の傍らには石垣等に使われた石の産地「篠島の矢穴石」が展示されています。
「矢穴」というのは石を割る際につける穴のことです。やっぱり清正公と築城の大石は切り離せないんですね~☆


さて、延々名古屋城の外郭をぐるーっと回ってきて、いよいよ大詰め。
大手二之門の前からまっすぐ南下して、名古屋城の大手側の出入り口にあたる本町門です。



縄張り図によれば、かなりの規模の枡形をもつ虎口だったようのですが・・・ここも!東門同様に道路で枡形は跡形もなくつぶされていて、食い違いに残された石垣がかろうじて虎口の面影を残している感じです。

しかし、さすがに名古屋城!石垣に使われている石の大きさといったら・・・

なお、名古屋城の外郭の堀底は、一時期鉄道が走っていたということです。
右側の写真は、その鉄道の駅ホーム跡だそうです。「名古屋鉄道株式会社所有」と書いた札がぶら下がっているので、それと知ることができます。

・・・というわけで、名古屋城の外郭めぐりは終了・・・お疲れ様でした!

なんたって徳川御三家筆頭格のお城ですから、その壮大さはなんとなく創造はしていたものの、実際に歩いてみて初めて「実感!」です。。。

土塁も堀も思った以上に大きいし、なんてったって、広い~☆

どれくらいの距離を歩いたんでしょうか、さすがにデスクワークばかりで日ごろ鍛えていない足は疲れきって棒のよう。へろへろになったノドに忘年会のビールと城好きさんたちのお城談義が染みました~♪

8時過ぎには店を出て、酔っぱらいは一路東京へ。帰宅は日付の変わった頃。
本と、弾丸の道行。我ながら、まぁ、よくやりました(笑)